Hello,everyone!
How’s it going today?

This is Nori Honjo


日本に帰国して約10年

生徒に1秒でも早く英語を
マスターしてもらうために、
日本人の分析を毎日やっている。

自分も日本人であるのだが、
もともと「変わっている」という褒め言葉?
を全身に受け子供のころから育ち、
海外で10年以上暮らした私は、
いい意味で少し普通の日本人の感覚からズレており、
それが逆に日本を客観的に
分析できる力になっている。

日本人が英語を話すことを
阻害しているメンタルブロックは、
「対人恐怖症」=知らない人と気楽に話せないこと、
「白人崇拝病」=白人の方が美しく、
すべての点で優れていると思うこと。

これが英語崇拝につながる。

と主張し10年前に本
(なぜ私たちは3ヶ月で英語を話せるようになったのか 実業之日本社)
(英題
This is why Japanese do not speak English even though they can.)
(EQ英語の原書)を出版したところ
多くの人々から反響を得ることになり、
現在の地位を得ることになった。

もちろん、精神面だけではなく、
ノルウェー人に教わった英語速習法の影響もあるのだが。

いずれにしても、日本人の精神分析は
私の趣味であることには間違いない。



先日、マレーシアから帰ってくる便のなかに
日本人の家族連れを見ててあることに気付いた。

それは「日本のおとうさんは、
すでに家族に属してないのだということを」

その家族は、父母と子供二人なのだが、
母親が子供の面倒を全部見て
(泣きじゃくる子供に大変そうだったが)
父親は、寝ているという、
けっこう新幹線なんかでもよく見る光景。

そこで何を発見したかというと、
それを説明するにはこの前提が必要である。


日本人は、共同体の中で暮らすのが好きである。
それが、昔は家族、村、国であった。
しかし、今では、国を嫌いになる教育を
押し付けられ国は嫌いになり、
村はなくなり、大家族もなくなった。

そこで、日本人を吸い込んだのは、
幻想共同体。

学校 クラブ活動 会社 などである。

なぜ幻想と呼ぶかというと
家族などの血のつながりや昔の武家社会と違って、
所属するには時間制限があって
そっから出ると所属がなくなるからである。

日本で豊かなのに幸せを感じないとおっしゃる方が多いのは、
このいずれはなくなってしまう幻想共同体を
実存共同体の家族より優先するからである。


これは若いころ私もやってしまっているので
大きなことは言えないが、
クラブ活動を家族の行事より優先し、
クラブの仲間との集まりをせっかく田舎から
祖母が出てきているのに優先し、
祖母は孫に会えずとぼとぼと田舎に帰って行った。

「中学生になるとクラブとかなんかで忙しかとよー。
しょうがなかねとよー」と
母親は日本中どこにでもある言い訳をしたらしいが、
その日本の幻想共同体(クラブ)には、

「おばあちゃんが田舎から来ているので
クラブのミーティング休みます」

とは言えない圧力があったし、
休みたいとも思わなかった。

小学校のころなら、友達との遊びをほっぱらかしても
おばあちゃんに会いにいったであろうし、
だれもそれを咎めはしなかっただろう。


私の住んでいたアメリカやオーストラリアでは、
たとえば中学や高校、いや大学でも
家族の行事や日本から祖母や祖父がやってくるので、
次のミーティングは出れません!
と言ってもだれも咎めないどころか、
喜んで行かせるであろう。

つまり、海外ではクラブ活動はクラブ活動で
何よりも優先すべき共同体ではないのである。

日本では、小学生の少年野球でさえ
休むのは容易なことではなかった。

日本の場合、一事が万事、
この幻想共同体の最終形が会社である。

この共同体に属していれば
安心、安全、安泰と考える。

これはある意味ただしい。

しかし、この共同体に属したら、
他の共同体には全く興味がなくなる。

それは、野球部が弓道部に
全く興味がないのと同じことだ。


つまり、自分の共同体の中では
最高の気遣いをするが、
その外ではまるで存在がないかのような
振る舞いにかわる。

私はよくホテルを利用するが、
そこには当然ビジネスマンが泊まっている。
朝、エレベータに乗り合わせると、
大体不機嫌OR無表情で乗っている。

こちらが「おはようございます」と
挨拶しても無視か「あんた誰?」というリアクション。

しかし、そこに上司が乗ってくれば
いままで能面のような顔だったのが、
満面の笑みに変わり、元気に挨拶。

下りるときも私を押しのけるようにして
上司を先に下ろし、
下りた後は後ろへの気遣いもない。

これ普通の朝。

これを異常に感じるのは
海外ではこんな感覚はないからね韓国以外は。


これに近いことは少年野球や中学のクラブで
始まっている。

昔、子供を連れてよく近くのバッティングセンターに
行っていたのだが、そこのおじさん言っていた
「最近の子は挨拶しないけどお宅の子はえらいねー」と。

そして、よくみると本当に挨拶しない。

しかし、そこで先輩に合うや
大声で「チワーーース」。

おじさんが「こんにちわー」と言っても、
無視してた奴がだよ。

体育会の礼節ってなんだろうと思った。

つまり、それは幻想集団の中だけでしか機能しない。
相関性のないデジカメの充電器
みたいなものなのだろう。


こんな笑い話がある。

あるとき英会話の仲間と草野球をした。

そのために横浜市の野球場をレンタルしたのだが、
その前に小学生の少年野球が練習していた。

必然的に向こうは退場、
こちらは入場で交差する、

うちの生徒達は少年野球の子供達に
「こんにちわ」と挨拶するも
「あんただれ?」ビームを返される。

しかし。最後に子供たちはグランドの外に集合し
「グランドに礼!」と見事な挨拶。

俺たちはグランド(土)以下の存在?
と笑ったもんだった。

だから、飛行機に乗ってる
おじさん達はCAさんからコーヒーをもらっても
ありがとうも言わなければ、
日本の空港で外国人が通路でうずくまってても
無視して上司を迎えに行き、
それを見た上司も
「あの外人苦しんでるんじゃないのか、
お前英語できるだろう、助けて来い」
とはならないんだろうということが推測できる。

なぜなら同じ共同体ではないから。


これが解ってくると、
日本の家族が解る。

日本の家族は、
お父さんは会社という幻想共同体に属し、
お母さんと子供は家族という共同体に属する。

だから子供のことは母親任せ。
家は寝るところとなるのである。

最近のお父さんの関心事は、
「いかに子供に好かれるか」ということらしいが、
これはいささか無理な注文だろう。

なぜなら、所属場所が違うのだから。

所属が違っても、この日本の社会は機能している。
なぜなら、日本の母親は世界一優秀だから。

問題なのはこの幻想共同体がなくなったときの男達。
定年やリストラ、倒産。
あくまで幻想は幻想でリアルは血縁なのである。
ここを読み間違えると辛い老後が待っている。

何十年も無視してきた共同体に
いまさら入れてもらえるかということである。

しょうがなくお母さんは入れてくれても
子供達は「なんだよいまさら」と
なるのではないだろうか。

誤解しないでほしいのは、
会社をおろそかにしなさいと言っているのではなく、
会社と同じくらい(できればちょっと上で)
家族を大切にしなさいということである。

つまり、家族という共同体に
属してほしいということである。

いま、結婚しない女性が増えているのも
結婚当初は家族という共同体に属している男は、
気が付いたら会社という幻想共同体に
吸い込まれて帰って来ないで、
子育て、会計、親戚づきあいETC
血縁に関する共同体活動を
すべて任されることに
恐怖を覚えているのではないかと分析した。

あくまで私の独り言なので、
あまり気にしないでください。

上記はあくまで
「受験英語では英語ははなせない」的な
一般論(80%以上に当てはまる)ですので、
当然例外(挨拶を返す人など)もありますので
あしからず。

もうひとつ、日本の分析をすると
必ず反日本か?といわれまずが逆です。

私は日本至上主義ですので、
あえて分析し少しでもいい日本を
作ろうと思っています。

ではまた。


-Nori


参考文献
『幻想の未来』(青土社 1993年)岸田修
アンリ・ワロン『子どもの思考の起源』(滝沢武久共訳 明治図書出版 1968年ジャン=ポール・シャリエ『無意識と精神分析』(せりか書房 1970年)ピアジェ 『哲学の知恵と幻想』(滝沢共訳 みすず書房 1971年)他

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