先日「奇跡のりんご」を見た。

感動した!
そこで得た気付きは
「人間10年同じことをやると結果を出せる」
というものだった。

「なぜ日本人が英語が話せないのか!」
「どうすれば話せるようになるのか!」
を考え続けて10年が過ぎた。

今日もその答えを求めて本をむさぼり読み、
ネットサーフィンをする。

そして、今日新しい気付きがあった。

日本人の英語をだめにしているのは 
学校の進路指導の一環で行われる「三者面談」
であることがわかった。

なんで英語と三者面談?と思うだろう。
これが日本のランキング社会の生みの親だからだ。

日本人は英語が話せる 

しかし、自分が話せると思ってないから
話そうとしないのだ 
と私は言い続けてきた。

そして、多くの人に
この気付きを与え話せるように改造したきたつもり。

しかし、どんなに上達しても
「実感が無い」という人も多い。

なぜ実感がないかというと
「どんなに上達しても常に上を比べるからである」
これは日本のランキング社会に問題がある。

日本では普通に高校に行くと
偏差値によって行ける大学を振り分けられる。

なにが勉強したいかとか、
どこの大学に行きたいかより、
今の偏差値でどこに行けるかを面談で教えてくれる。

そして、自然と妥協し、行ける大学に入る。

うちの例でいうと、
長男が法政大学に入った。

それ以下の偏差値の学生にとっては
いい大学なのだが、
本人はMARCHといわれる 
(明治、青山 立教 中央 法政)の中では最下位なので、
「自分は馬鹿だ」くらいに思っている。

親友が慶応に受かって
なおさらあいつは頭がいい。俺は、、、、となっている。

しかし、MARCHでも
早慶生には劣等感があるだろうし、
早慶でもどこの学部?とか言い合って
ランキングを決めあい、
しかし、東大生には頭が上がらず、
東大でも文一文二?とかでランキングがあって、
そこを主席で卒業かそうでないかでまた、、、、と
どこまでいっても比べあいの
ランキング社会である。

この負のスパイラルから
脱出しないと英語はいつまでたっても話せない。

なぜなら、英語でぺらぺらというのは
CNNの同時通訳者を指しているからである。

つまり、日本人として最高レベルの英語力。
そこに達成しないと、
私は英語が話せない、話せるなんて言ってはいけない
という錯覚。

東大を主席で卒業してはじめて
頭がいいといっていい というような錯覚。

これは、三者面談で
散々刷り込まれた偏差値による
進路指導とランキング社会が編み出した
人と比べる制度の弊害である。

ではどうしたらいいのか、
簡単である。

人の評価を無視すればいい、
そして「私は英語が話せる」と
自分にも周りにも言い続ける。

するとあら不思議
TOEIC300点以下でも
英語が話せるようになるのである。

なぜなら、TOEICだろうが英検だろうが
これはあくまで他評価だからだ。

これらが高得点でも話せない人はたくさんいる。
いや話せない人の方が多い。

しかし、世界では観光客相手に商売する
おじさん、おばさんみんな英語を話す。
たぶん、高校も行ってないだろう。

なぜならランキングのない世界では、
自分が中心。
自分で自分の評価をすればいいのであるから、
自分が自分を凄いと思えば凄いし、
できるとおもえばできるのである。

英語も同じ。
だれがあなたの英語をランキング付けするわけでもなく、
自分で評価して自分であがっていけばいいのである。

もちろん、就職や入試には
TOEICが有利に働くことは事実ではあるが、
私は大いに疑問を感じている。

長崎の寺子屋で蘭学を教えていたときの生徒は
オランダ人相手にオランダ語をぺらぺら話したらしい。

それから200年も進化した日本人が
英語くらい話せないわけがないのである。

ではまた。

- Nori

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